海外で子どもの言葉を伸ばす

カルダー淑子(プリンストン日本語学校理事長)

<はじめに>

アメリカで子育てをする親たちにとって、何よりも大きな気掛かりは子供の言葉の発達でしょう。我が子が英語の力をしっかりと伸ばし、現地の幼稚園や学校に適応してほしいとは、どの親も願うことですが、その一方で、帰国の日のそなえ、母語である日本語を年齢相応に伸ばしておくことも親たちの切実な願いです。この日本語の保持は、近い将来帰国を予定する家族には特に大きな問題ですが、一方、アメリカに永住を考えている家族にとっても、第二世代の日本語をどこまで維持できるかは、将来の家族間のコミュニケーションや、本人のアイデンティティーにかかわるために、決しておろそかにはできないことです。さらに日本国内の国際結婚家庭でも子供の二言語の保持は切実な悩みであり、特に親の一人が日本語を母語とせず、子供をインターナショナル・スクールに通わせているような家庭では、子供の日常の言語が英語やその他の外国語になる場合も多く、日本語の保持がおぼつかなくなることを懸念する親たちも少なくありません。

 

<言語力にかかわる要因>

それでは、子供の二言語を育て、親の言葉である日本語も、もう一方の言語である英語も、バランスよく発達させるにはどうしたらいいのでしょうか・・・・?一般に海外に住む子供たちの言葉の発達に影響する要素としてあげられるのは、①日本から渡航した時の年齢と、②海外で暮らした年数の二点であり、子供が海外に住む年数が長いほど現地語が強くなり、逆に日本語の保持が難しくなるのは誰にでも想像できるとおりです。また子供が日本を出国する前に学齢期を迎え、小学校中学年くらいまでの学校教育を日本で受けた場合には、日本語の基礎がある程度出来ているために、海外に出ても日本語の力を維持し、それを伸ばすことが比較的容易ですが、本人が幼少時に海外に出た場合には、現地の言葉の獲得には問題が少ないものの、日本語を伸ばすことが難しい問題になっていきます。

以上のことはパイリンガル児童の一般的な傾向といえますが、一方、同じ年齢で渡米した子供でも、在米年数がたつにつれて英語や日本語の保持・伸張に大きな差が出ることはよくありますし、同じ家庭の兄弟姉妹でさえ、二言語の発達に個人差が出ることは多くの人の認めるところです。このような個人差はなぜ起こるのでしょうか・・・?少し硬い話になりますが、在外の子供の言葉の保持・伸張にかかわる要因には、在外年数と渡航年齢という二つの履歴的な項目のほかにも多くあり、特に家庭や学校での二言語の使用状況という対人社会的な要因や、本人の言語文化に対する志向といった心理的な要因も大きな影響力を持つと考えられます。

 

<補習校調査から>

それではこれらのさまざまな要因の中で、アメリカに住む日本人家庭の子供の言葉の伸びに大きくかかわるのはどんな項目なのでしょうか・・・?私自身も補習校の仕事を長くするうちにこの問題に関心を持ち、アメリカの北東部地区の補習校8校に在籍する高校生122人と、その保護者92人の協力を得て、生徒の日英語力に影響する相関要因の調査を行ってみました。まず高校生に対して日本語と英語の語彙テストを行い、同時に本人と保護者にアンケートに答えてもらって、その両者を総合して生徒の語彙力に影響する要因を数値で割り出すという調査です。

その結果ですが、まず、生徒の日英語の語彙力には在外年数と渡航年齢という履歴的要因が大きな比重を占めるものの、そのほかの要因の役割も大きく、特に兄弟姉妹の間で話す言葉が日本語であることや、日本語で付き合う友人が多いこと、日本語での読書量なども補習校の生徒の語彙力を伸ばす大きな要因になっていることが確認されました。これはこれまでバイリンガル教育の専門家が研究してこられた結果ともほぼ一致しています。また心理的な要因として、日本や日本文化に対する本人の親近感やアイデンティティーも語彙力と相関する大切な項目になっていることが分かりました。

一方、補習校の子供たちの英語の伸びを見ると、幼児期からアメリカで育ち、高校生の年齢まで学校教育を受けた生徒の場合、英語の語彙力ではおしなべて同年齢のアメリカ人の母語話者のレベルに達していること、さらに在米年数が同じである場合には、日本への帰国予定のある生徒のほうがそうでない生徒に比べて日本語の語彙力が平均して強く、アメリカへの永住予定のある生徒は英語の語彙力が平均して強い、という傾向も認められました。

 

<海外で日本語を伸ばすには>

これらを総合すると、在外児童・生徒の二言語教育については、次のようなことが言えると思います。まず幼児からアメリカに在住し、学校教育を受ける子供の場合、少なくとも英語力では母語話者の水準に達することが比較的容易なのですから、大切なことは家庭の努力で日本語を保持することです。その場合の鍵となるのは、日本語が使われやすい両親との会話のみならず、同世代の兄弟姉妹の会話も日本語で通させる努力をすることであり、日本語の本や雑誌を子供の手の届くところに揃え、日本語を常時吸収できる環境づくりをする中で、日本語や日本文化に繋がるアイデンティティーを時間をかけて養っていく、ということでしょう。といっても、家庭とは、子供はもとより、親にとっても生活の中のくつろぎの場所ですから、子供たちの日本語体験はなるべくリラックスした楽しいものであることも心がけなければなりません。たとえばお父さんが日本語を母語とせず、日本語の会話が成立しにくい国際結婚家庭の場合には、お父さんも一緒の時間の会話は英語とし、お母さんと子供の時間は日本語で通す、といった配慮も必要になります。それぞれの大人が自分の母語で子供に接することは、子供の二言語をバランスよく伸ばすカギになると言われるとおりです。私の知人には、英語が母語であるお父さんは英語の絵本を、日本語が母語であるお母さんは日本語の絵本を子供に読んであげることを厳守している家庭がありますが、子供は混乱することなく、それぞれの言葉の特徴をつかんで絵本を楽しんでいるとのことです。 幼児期からこのような努力をすることによって、子供は英語のみならず日本語によっても充実した言語体験を積み重ね、英語環境にあっても日本語や日本文化が自分にとってかけがえのないものであることを体で覚えていくわけで、それがやがてはアイデンティティーの形成にも繋がることになります。

 

<英語が伸び悩むケース>

一方、帰国予定のある家庭は両親共に日本人である場合が多く、生活の言語も日本語が主流を占め、結果として子供の日本語も強くなることが多いのですが、逆にこの状態が長い年月にわたって続く場合には、英語の学習に対する努力がおろそかになり、現地校での授業に必要な英語が伸び悩む、というケースもあり、私の調査でもこのような生徒が見られました。これは特に学齢期の途中から渡米したお子さんに起こりがちなことで、いずれ帰国する子供にとって英語はさほど重要ではないと親も子も思ってしまうために起こる問題ですが、実はこれはたいへん危険な思い込みだと思われます。というのは、子供の英語の力が十分に伸びていないと、主要な学習の場である現地校でのさまざまな教科の授業が理解できず、そうした状態が長年にわたって続く場合には、英語を使うにせよ日本語にせよ、学校教育を通して誰もが学ぶべき知識が不足することになり、二言語が共に伸び悩むだけでなく、社会人としての将来に禍根を残すことも考えられるからです。つまり、在米の子供たちは、英語による学習も日本語の学習も、どちらもおろそかに出来ないわけで、このように考えるとバイリンガルの子供の教育とは決して楽なものではないことが分かります。だからこそ、海外での長い教育期間にも日本語の学習が楽しんで続けられるよう、幼児期から日本語に親しませ、日本語への自然な愛情をはぐくんでおくことが大切だといえるのではないでしょうか。

 

<生涯をとおして増える語彙>

さて、ここでは日本語と英語の語彙調査の話をしましたが、語彙とは子供の言葉の発達を測る尺度としてはたいへん重要であり、語彙の豊富な子供は表現力が豊かで、読むことにも書くことにも力を発揮します。一般に言語を形成する要素の中でも、母語話者らしい発音は5,6歳の時までに習得が行われるものであり、また文法にもとづく基礎構文の習得も、母語の環境にあれば10歳くらいまでに自然な獲得が行われ、助詞の使い方の間違いなどもこの年齢から後では起こらなくなってきます。しかしこれに対して、語彙の量だけは幼児期の親との会話に始まって、学校教育や友達との生活の中で年を追って増え続け、生涯にわたって習得が続くといわれます。ごく簡単な一語から始まる子供の語彙が、しだいに家庭の中で使う身の回りの語彙に拡大し、やがて学校教育で学ぶ学習語彙になり、さらに成人後の仕事や読書を通じての習得と、語彙はその人の年齢や生活を反映して、生涯にわたって増やすことができる言葉の大事な要素なのです。

 それでは人は平均して一体どのくらいの数の言葉を知り、日常生活に使っているのでしょうか・・?一人の人の認知できる語彙の数には個人差が大きく、それを数えることも難しいのですが、国立国語研究所の調査によると、新聞・雑誌に使われている語は大体4万語といわれ、ほとんどの日本人の成人はそれを問題なく読んでいるのですから、そのくらいの数の語彙は認識できるということになり、学齢前の子供さえかなりの数の言葉をすでに知っていると言われます。それではこんなに膨大な数の言葉を、人はいったいどのようにして身に付けていくのでしょうか・・・?むろん学校教育はその基本ではありますが、これだけたくさんの言葉を教科書や教室の授業だけで教えることはとても不可能であり、子供たちは毎日の生活を通し、家族や友達とのおしゃべり、年上の人との会話、読書、テレビや映画、街中のアナウンスと、それこそありとあらゆる言葉のシャワーを浴びながら語彙の数を増やしていくのです。このようなことは、国内の母語環境にある子供の場合には、特別の意識もなくごく自然に行われているもので、言葉の「学習」をしているという自覚など全くないままに、子供たちは常時たくさんの言葉の習得をしているわけです。

 

<海外の子供の語彙獲得>

それでは海外で日本語を学ぶ子供の語彙の習得はどうでしょうか?国内にいる時と違って、アメリカでは現地の幼稚園や学校で英語のシャワーを浴び、社会のすべてが英語だという環境の中で、なお日本語の語彙力を年齢相応に上げていくことは可能でしょうか?仮に週に一度日本語の幼稚園や補習校に通うとしても、さまざまな社会体験を日本語でする機会は十分でないため、そこから得られる語彙の数には限りがあります。従って、前にも述べた家庭における日本語環境の保持が子供の語彙獲得のカギになりますが、これには親のほうにもかなり意識的な努力が必要になると思われます。

 

<年齢に応じた語彙を伸ばす>

子供の語彙獲得に大切なことは、本人の成長に伴って年齢にふさわしい新しい言葉を増やしていくことですが、小さい時から家庭で日本語を使っていても、その表現が幼児の時から決まりきった、いわゆる「うちの中の日本語」で終わってしまうと、年齢にふさわしい言葉の数が増えず、日本に里帰りしても自信を持って他人と話が出来ない、成人しても「社会の中の日本語」が使えない、ということがありえます。事実、私の行った高校生調査でも、生徒の認識できる語彙の範囲は在米年数によって大きく異なっており、もちろん個人差はあるものの、幼児期からアメリカで生活している生徒の場合には、中学生頃に日本から渡米した生徒に比べて、いわゆる学習言語、つまり学校教育の中で習得する語彙をはじめ、新聞や雑誌で使われる社会生活の語彙の数が圧倒的に少ないケースが多く見られました。また逆に中学生や高校生になって渡米した生徒には、英語の語彙力に欠ける生徒が多く、小学生の高学年で学習するような基本的な語彙が不足するために、現地校での授業についていくことが懸念される生徒もありました。つまり親の海外赴任に伴って二言語の間を移動する生徒には、よほど気をつけてかからないと、その渡航年齢や在外年数によって欠落する語彙の範囲がかなりのものになるということです。

 

<生活の中で語彙を増やす>

それではこのような問題を克服するために親はどうしたらいいのでしょうか・・・?海外の日本語環境は家庭と週末の日本語幼稚園や補習校ですから、まずは家庭で年齢相応の日本語を毎日の生活の中に取り入れていくことが大きな目標になります。親はつい自分の育った日本の言語環境をもとに、子供が自然に年齢相応の言葉を獲得すると考えがちですが、海外の場合、それは意識的な努力なしにはありえないことで、話し始めの幼児期を通り抜けた後は、そうした努力で壁を乗り越える努力が必要になるでしょう。 たとえば子供が小さい頃から絵カードや言葉の図鑑などを買い込んで、毎日子供を座らせて教える、といったことも一つの方法には違いないのですが、それよりも大切なことは、母語話者である親との共通体験を通して子供に生きた言葉の使い方を体得させることでしょう。 それは毎日の生活の中で両親との自然な会話をするという、ごく基本的なことから始まります。いくつかの簡単な例を挙げてみましょう。

 たとえば、幼稚園児といっしょに折り紙をする場合など、つい大人は子供が実物を見ているのだからと、「ここをこうやって、それからこうやって、それでこうするのよ」などと言いながら折り方や切り方を教えることが多いのですが、その代わりに「親指と人差し指を使って、この線にそって四つに折って、それを開いて、このカドを丸く切ると、ほらカエルのかたちになるでしょう」と言ったほうが、子供の聞く言葉の数はよほど多くなります。また台所でお母さんと一緒に料理を作るのは小学生が楽しんですることですが、この時も「水はこのくらいで、鍋をこうやっておけばいいのよ」などという代わりに、「水を鍋の七文目くらいまで入れて、中火でゆっくり煮込むと、肉の味が沁みてコクが出るの」などと言う方が子供の表現力を伸ばすことになります。海外にいる子供でも「切る」「洗う」などは誰でも知っている言葉ですが、「むしる」「ちぎる」「水にさらす」「注ぐ」「浸す」などは案外知らない子供も多く、このような、ややニュアンスのある言葉を意識的に使っていくのも良い方法です。また子供と車で街を走っていて「あのスーパー、いつ終わるの」などと聞かれたら「あの店、平日は8時で閉店だけど、今日は祭日だから9時まで開いているようね」と答えたり、「あのガラージ高いよ」といった英語交じりの日本語には「駐車料金は高目だけど、駅に近くて便利だから」と対応するなど、子供の知的な発達に合わせて、少しずつ使う言葉のグレードアップを心がけると、年齢相応のレベルの語彙が増えていくと思います。

 特に小学校の高学年を過ぎてティンーエイジャーにさしかかる頃から、子供は親との会話を避けることが多くなり、まして日本語の会話となると口を開かない子供も多いために、学校から帰った子供を捕まえて「今日どうだった?」などと尋ねても、「うん、まあ」というような返事で終わってしまうことも多いのですが、このくらいの年齢になると、実は知的には相応の発達を遂げているのに、日本語を使ってアメリカの学校生活を表現するだけの語彙がないために、自分自身で満足できる日本語の会話が成立せず、面倒だからと口を閉じてしまう場合もよくあります。このような場合には子供を質問攻めにするよりも、夕食の時間を使って両親のほうから自分達の学校時代の思い出話などをし、その中に「図書室」「運動場」「鉄棒」「給食」「部活」といった言葉や、いろいろな教科で学んだ言葉をさりげなく忍び込ませておくほうが効果があがると思います。さらに子供の年齢が上がって、社会の仕組みや時事問題に関心を持つ年頃になったら、お父さんの職場の出来事や、お母さんの日本でのOL時代の思い出、祖父母の戦時中の体験談、戦後の社会事情などを当事者の口から語ることは、子供に新しい語彙を提供するだけでなく、日本の社会事情や現代史の知識を伝えることになり、またとない知的な刺激になります。こうした世の中の出来事はむろん補習校の中・高校生でも勉強するのですが、授業時間が十分でないため、つい教科書の口移しになることも多く、 身近な人が自分自身の体験を自分なりの言葉で伝えることは、海外の子供にはかけがえのない知的な財産となるでしょう。また会話の運び方によっては、現地校で学んだアメリカの社会事情との面白い比較も出来ると思います。

 

<テレビの効用>

以上のような親子の会話にはじまり、家族旅行や、美術館・博物館めぐり、日本への里帰り、補習校の調べ学習の宿題をいっしょにするなど、日本語を使って親子で出来る体験はいくらもありますが、さらにテレビやビデオ、アニメ、映画といったメディアを使って親子で疑似体験を行うことも子供の語彙力の強化には効果があります。テレビといえば、海外でも日本語のニュースを毎晩見る習慣のある家庭が多く、これは子供の社会用語の獲得にはたいへん望ましいことですが、さらにドラマや時代劇も、さまざまな年齢、さまざまな時代の人物が場面に応じて異なる言語表現を使うために、ナマの日本語に触れる機会の少ない在外の子供には大いに役に立ちます。社会の人間関係を表す敬語の使い方や、さまざまな土地による方言の違い、男女の言葉づかいの機微、時代によって異なる古語の使用などは、子供たちに日本語の多様性と魅力を伝えるもので、母語環境にいない子供には良い擬似文化体験の場ともなるわけです。しかし、テレビ番組といっても、最近のバラエティーのように、語彙の乏しいタレントが決まり文句を連発している番組では言葉の増強はおぼつかないので、親は漫然と子供をテレビの前に放り出しておくのではなく、質の良い番組を選んで一緒に見る努力が必要になります。

 

<楽しみながら語彙を増やす>

また耳からの語彙増強には、幼児期なら、しりとり遊びやなぞなぞのようなゲームも想像力をふくらませながら楽しんで出来る言葉の体験ですが、さらに年齢が上がった子供には、落語のような古典芸能も良いもので、日本語の豊かなニュアンスやリズム感を伝える貴重な情報源ともなります。なぞなぞの駄洒落のおもしろさが分かったり、落語の中の人情の機微が分かるようになったら、子供の日本語はかなり進んでいる、と考えることができるのではないでしょうか。事実、私の高校生調査では、アメリカ生まれにもかかわらず、国内の高校生に匹敵する語彙力を持つ生徒が数人ありましたが、担任の先生によると、この一人は百本を超える落語のテープを集めて毎日のように聞いているとのことであり、また別の一人は日本語のラップ音楽に凝って、学芸会では難解な言葉の連続であるラップの曲をステージで歌い続けたとのことです。これらは、幼児の頃から好きで覚えた日本語が、やがてかけがえのない自己表現の手段に発展したケースだといえるでしょう。最近のラップやアニメにはあえて難解な言葉を使ったり、歴史を題材に扱ったものも多く、親のほうである程度の内容のチェックは必要だとしても、海外にいる子供たちには多様な日本語の世界を提供する手段だと思われます。 

 

<読み聞かせと読書>

子供の日本語体験の手段として、家族の会話と並んで決しておろそかに出来ないものに日本語による読書があります。幼児のころからの絵本の読み聞かせに始まり、自分の好きな作家の作品にめぐり合い、日本語の面白さを見つける過程は本人にとってはかけがえのない自己探求の道筋であり、この過程を通して子供たちの語彙もしだいに増えていきます。小さい頃、お母さんやお父さんの膝に寄りかかって絵本を読んでもらった楽しみは、いくつになっても忘れられませんが、この時期に選ぶ絵本はなるべく日本語のリズムや音の感覚をつかんだ言葉のある本が良いと思います。「ごろごろ」「もくもく」「むしゃむしゃ」といった何でもない擬声語や擬態語が出てくる絵本が大好きで、何度も読んでほしいといってお母さんのところに持ってくる2歳児の話を聞いたことがありますが、このような日本語のニュアンスをつかんだ絵本を幼児のころから身近に置くことは、子供には日本語体験の良い入り口になります。また年齢が少し上がって物語を楽しむようになったら、一人で本を読ませることも大切ですが、一方で読み聞かせを続けることも親子の共通体験という意味では重要なことです。物語を読むという行為によって、人は自分の普段の生活とは違った世界に入るわけで、子供は日頃の生活では得られないさまざまな場面を体験し、それにつれて新しい語彙が増え、表現力も伸びていきます。親子で物語の世界を体験し、ドキドキわくわくしながら新しい言葉を覚えることは子供にはかけがえのない思い出作りにもなるでしょう。 

 こうした中で、子供が知らない言葉にぶつかった時には、親がそれを説明をしなければ先に進めない、といったことがよく起こるものですが、このような場合に、お話の流れを止めてどこまで説明すべきかと迷うのは、読み聞かせをされるお母さんなら経験されることだろうと思います。特に日本の昔話や民話には、外国で暮らす子供には耳慣れない方言や古い言葉がよく出てくるもので、親の方でもどのくらい説明をするべきか、考えてしまうこともよくあるものです。そんな時は、子供の好奇心にもよりますが、ある程度の説明を加えた上で早めにお話の流れに戻るほうがストーリーに対する子供の関心が持続し、読書の面白さが生きて伝わるようです。多少分からない言葉が残っても、面白い物語の世界に浸るという体験のほうが、子供と日本語の世界をつなぎ、子供の心を豊かにしてくれるのではないでしょうか。一方、日本語訳になった英語圏のお話や、英訳された日本のお話を両方の言語で読むことも子供には貴重な体験で、これは特にバイリンガルの家庭でこそ出来ることだといえます。たとえば、お母さんは日本語で、お父さんは英語で同じお話を読んであげる、といったことによって、子供は二言語をつなぐ共通の世界のあることを認識し、ある種の心の安らぎも得ることでしょう。

 

<読書がひらく可能性>

このように低学年のころからなるべく多様な本を選んで親子で読んでおくことにより、子供は読書の面白さに目を開かれ、いつかは自分の好みで本を選ぶことが出来るようになります。その結果、しだいに語彙の数も増え、書いたり話したりする表現力もついていきます。ニュージャージー州のある補習校の先生は、「1万ページ読書マラソン」という試みを中学生のクラスで毎年続けておられ、これはどんな内容の本でもいいから合計して1万ページになるまで各自が読み通すという企画ですが、この先生によると、最初は本を一人で選ぶこともできなかった生徒が、読書量が5千ページを越えるころからは自分で進んで本を選ぶようになり、1万ページに達した時には作文にも独自の文体が見られるようになった、とのことです。アメリカ生まれであっても幼児から日本語の本に親しみ、自分の好きな日本語の本の世界を見つけた生徒は、高校生になっても国内の同年齢の生徒に近い語彙力を見につけられる場合もあり、これは私の高校生調査からも確認できました。このように家庭の中での親との会話に始まり、自分自身の日本語の世界に入るまで、子供の日本語体験はさまざまなかたちを取って進むもので、この過程を通して子供は日本語や日本文化を自分にとってかけがえのないものと感じるようになり、それがいつか日本と自分を繋ぐアイデンティティーの形成になっていくものと思われます。

 

<むすび>

ここではアメリカに住む日本人家庭の子供の語彙習得を中心にお話しましたが、同様のことは日本に住む国際結婚家庭に置き換えても言えるわけで、 母語環境の外にあって親の言語を子供に教えていく場合には、いつでもあてはまる原則だろうと思います。在外にある家族や、国内でも国際結婚家庭の場合には、親と子の主要言語が違う場合も多いものですが、幼児から言葉による共通体験を出来るだけたくさん持つことで、多くの壁が乗り越えられることと思います。

 

カルダー淑子(プリンストン日本語学校理事長)